Itazu Litho-Grafik

「版画マーケットの亡霊」
オリジナル版画・エスタンプ(複製)版画、偽版画

先日ネット上で偶然見つけたのが、Itomaru氏の偽版画WORLDキャンディ虐待問題参照)というタイトルのサイトです。リトグラフ工房を始めはや十数年が過ぎ、質の高い版画を作り多くの人にその魅力を理解してもらおうと努力していますが、偽版画といったタイトルの付いた文章を見つけるとやはり、通り過ぎる訳にはいきません。一版画工房としての意見です。

まず、「キャンディ・キャンディ問題」は明らかに著作権を無視した行為であり、キャンディのファンを裏切り、とても残念な結果となってしまったようです。しかし、驚くのはこれ程のたくさんの企業が著作権の所在確認なく版画を含めつぎつぎとグッズ製作販売をしていたことだ。


Itomaru氏のサイトでは、キャンディ問題に関連し、”オリジナルとエスタンプ(複製版画)”を明確に説明しています。オリジナル版画とはその技法(リトグラフ、銅版、シルクスクリーン)でのみ可能な表現方法を用いた版画であり、もちろん作家本人が版に描画して版を制作し、作家本人もしくは作家に依頼された刷り職人が製版・刷りを行った版画。一方、エスタンプ版画とはもう既に存在する美術作品(日本画、油絵、ドローイングなどの原画となる1点モノ)を版画工房に持ち込み作家本人の代わりに工房スタッフが版に絵を描き、製版、刷りを行い、原画を忠実に再現する。したがってエスタンプの場合、作家が版画に直接手に触れるのは刷上がった複製版画にサインと限定番号を鉛筆で記入する時だけになる。

オリジナルとエスタンプ(複製版画)の最大の違いとは、技術的な方法論以上に版に対する作家の対峙の姿勢である。オリジナル版画においては、作家は版を前にして(リトグラフでは石版またはアルミ版、銅版では磨きあげられた銅版またはグラウンドを施された銅版)版に絵を描くという制作行為が必要不可欠となる。作家なのだから当然のことなのだが、、。作家にとって版との対峙はなかなか容易なことではない。なぜなら石版、アルミ版、銅版という異物に近い素材の上に絵を描かねばならないからだ。さらに版を描いている最中に絵の修正が出来ないことが多く、作家はある程度の緊張感を経験しながら決断力を要求される。版画制作では描画材料、イメージの左右反転、製版・刷りに関わる技術的な煩雑さ、気難しい(?)刷り職人とのやりとりなど制約された環境下で作家本人の表現を最大限に発揮しなければいい作品は生まれない。技術的な部分は刷り職人に任せるといっても版描き、紙の選択、色の決定など作家としての作業は多く責任も重大である。
写真:アルミ版と真剣勝負するO Jun氏
版を描く苦悩を綴った 「O Jun 全リトグラフ展」 参照)

では、エスタンプ(複製版画)は簡単に制作できるかというとそういう訳でもない。私も現在の工房を始める前にエスタンプを制作する工房でアルバイト経験があるのでよくわかるのだが、原画を見ながら作家の代わりに版を起こすエスタンプ職人の作業というのは大変な仕事である。特に日本画の原画を持ち込まれた場合、ビミョウな顔料の雰囲気を複製するため少なくとも20〜30版の版描きをしなければならない。この版を刷り合わせるが、ここで原画と比較して足りない部分にはさらに版を加え、限りなく原画に近づこうとする。どこまで原画に近づくのか?それは原画を描いた作家と依頼主(版元)の気分次第となる。繰り返すが、作家はここでは何も創造的行為はしていないし、仮にエスタンプ職人が原画に完璧に近づいたとしてもあくまでもその作品は複製でしかなく、創造的価値は無。公の美術館はエスタンプを収蔵するだろうか。

著名作家たちがかつてオリジナル・リトグラフの制作を試みたが、うまくいかなかったと聞くことがよくある。原因は様々で、技術面をサポートする刷り師側の技量不足もある。しかし、なかには作家が日頃描いている表現(日本画/油絵)の延長に版画を考えてしまい、「日本画/油絵みたいにいかない」と諦めてしまうことも多いように思う。日本画顔料の調子や油性絵の具のマチエールなど当然ながら版画の表現には存在しない。リトグラフではクレヨン、銅版ならばニードルに持ち替えて勝負して欲しい。例えばルドンの油絵と彼のリトグラフ集を見比べればこの表現のそれぞれの違いをうまく使いこなしているのがよくわかる。ピカソも各版種の表現方法を良く理解し開拓していった作家だった。

エスタンプを複製版画として明記して売れば問題はない。著名作家の一点ものはン百万円することもあり普通の人の手の届くところではない。だから、この際、エスタンプ(複製版画)で我慢するとわりきってしまえばもうすこし庶民的な価格で手に入れることができる。こうした商売ではItomaru氏も指摘するように売り手・買い手がお互い合意していればこれがいかに高いのもでも問題ではない。ただし数年後(数カ月後?)仮にこのエスタンプを転売する時にはどれほどの価格がつくのかは覚悟が必要。 「オリジナル版画」「エスタンプ版画」という言葉がとても曖昧に解釈されていることが大きな問題ではないだろうか。もともと「エスタンプ (estampe)」とはフランス語の「版画」を意味するが、「オリジナル版画」をフランス語では「エスタンプ・オリジナル (estampe originale)」となってしまい、かなり紛らわしい。「エスタンプ」という言葉を改めて「複製版画」と統一したほうが理解し易くなる。

エスタンプ(複製版画)と「偽版画」は別もの。エスタンプまたはその他の大量生産の可能な印刷物をオリジナルと偽って売ればこれは偽版画。作品がオリジナルなのか複製されたものか明確に証明する術が無く知らず知らずにしてすべてオリジナルと称して売ってしまうところが多いのが現状で、この曖昧なところを利用して安価なる印刷物を高額で売る商売もはっきりいって少なくない。客を騙して売っているとしたら詐欺。作家の許可なく制作販売となれば著作権法違反も上乗せされます。

では、オリジナル版画、エスタンプ(複製版画)、偽版画を見分ける方法はあるのか?粗悪な印刷物は別としてこれら3種類を見分けることはとても難しい。オリジナル版画またはエスタンプの刷り終えた版を第三者が工房からこっそり持ち出し増刷し、"サイン"と"限定番号"を偽造し、市場にタレ流す事件も起きた。この場合"サイン"と"限定番号"のみが偽物と区別する手掛かりということになる。
アート市場が確立している米国でも’80年代この曖昧な版画の定義の隙間を狙ってダリ、シャガール、ノーマン・ロックウェル(他多く)の偽版画が大量に出回り問題になったことがある。そこでこれを取り締まるため版画制作(刷り)・仲介・販売に携わる全ての業者と作家に、その作品に関する詳細な情報を明記した「ドキュメント書類」 "Print Documentation (Certificate)" の提示・添付を義務付けることが多くの州の条例として可決され、この作品詳細内容に虚偽がある場合には罰せられる仕組みとなった。版画をギャラリーなどで買う場合には、必ずその作品の「ドキュメント書類」が作品に添えられる。この書類からは、少なくとも今まで知ることが出来なかった版画が制作された工房の所在と作品が実際に何部刷られているかが明らかになる。通常は作品上に記入されている限定部数しか分らないのだが、AP(artist's proof:限定部数の約10%以下の部数制作され、ローマ数字で番号記入されることもある)、PP(printer's proof:刷りに関わった工房の資料)、TP(trial proof:色・紙が異なる試し刷り)、HC(hors commerce:非売) を明記することで、限定部数完売後の増刷が禁止された。
(注)「ドキュメント書類」は鑑定書ではありません。

版画を買う時、その作品のドキュメント書類があるかを聞いてみることをお奨めします。日本では義務づけられていないので提示できないところも多いかもしれませんが、作家たちも率先して作品のデータ管理をしてゆく必要があるのではないでしょうか。さらにその作品・作家についてカタログ・レゾネやネット上で調べてみたり、ネットオークションをチェックしてみることもいいでしょう。その作家の作品がネットオークションに数多く出品されていたら、「どうして?」と考えてみることも必要では、。

(注)ここで偽版画の例として紹介したダリ、シャガール、ノーマン・ロックウェルの作品のすべてが偽版画ではありません。しかし、偽版画の多くは日本のアート・マーケットにも亡霊のように彷徨っている可能性があり、うっかりしているとあなたのコレクションに入り込んでしまいます。くれぐれもお気をつけください。

Itomaru氏の偽版画WORLDを是非お読みください。
また、ご意見・ご感想などありましたら、是非メールにてお寄せください。イタヅ
2005/12/1


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