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リトグラフ・フォリオ
"東西南北の此"
by
O Jun
タイトル "東西南北の此" 紙 BFK サイズ (紙/イメージ) 900x630mm 版・色 3版/3色、4版/4色 限定部数 10 部(+bat-1set,ap-1set,5tp)
作家本人によるサイン・限定番号あり制作年 2005 価格 セット価格¥600,000
各シート価格¥120,000
『東西南北のここ』
2004年10月某日夜、君は、たばこを切らしたのでコンビニまで買いに自宅近くの路上を歩いていたときだった。超低空で空を飛ぶ三角形の大きな発光体を見た。君の頭上前方にふいに現れた偵察機ステルスのような形状のそれは、前半分が赤、後半分を青くめらめら燃やしながら滑らかに北進して、消えた。ほんの数秒のことだった。君はなぜか後を振り返った。誰かが背後で花火を打ち上げたと思ったのだ。家々は、とおに明かりを消し人の気配もなかった。次に君は、隕石かと思った。あんな形の隕石はあるだろうか?それとも飛行機の墜落か?だが、いっこうに爆発音も火柱もあがらない。行き交う車もなく、静かな夜のままだ。君はぼんやりと夜の路上に立って空を仰いでいた。どのくらいそうしていただろう。たぶん、数分の間だったろう。「UFOかノ」。しかし君にはあの発光体が異星人の乗り物には思えなかった。あの滑空の様は海中を泳ぐエイのようだった。飛行ではなく遊泳に近かった。それ自体が意思をもつ生き物に見えた。君は10年前にもUFOらしきモノを見た。当時君はドイツ北西のデュッセルドルフという街に住んでいた。ある日、突然日本を出たいという衝動のままに、絵を描くという言い訳つくって国を飛び出した。そしてその街に住みついたものの、昼間はカフェに入り浸り、子どもが生まれてからは散歩と称して公園や川縁をバギーを押しながら日がなブラブラしてばかりでロクに絵も描かなかった。そんな暮しもそろそろ5年になろうとしていた晩秋の夜だった。君はアパートの中庭に面したバルコニーに出てたばこを吸っていた。星のきれいな夜だった。西側のアパートの屋根の上に他の星よりもひとまわり大きい見慣れぬ星を見つけた。それがふいに動いたように見えた。目をこらして見ているとたしかに動いていた。ツツーと横滑りしては止まり、また移動するというぐあいに。飛行機にしては明滅していないので変だなと思っていたら突然オレンジ色に変わり、赤かん坊の握りこぶしくらいに膨れ上がってジグザグの軌跡を描き猛スピードで東の彼方に飛び去った。消えるせつなに光が緑色に変わったように見えた。君はただちに見たものを描きとめようとクロッキー帳にドローイングをしたが、オレンジやグリーンの光球をいくら描いても満足せず、いつのまにか、今や古典的代名詞ともいえるアダムスキー型円盤を描いていた。水彩で丁寧に色をさし、窓まで描き込まれたそれは、最早記録ではなくなった。夜気に肌が粟立ち、君は我にかえった。途中だった道を始め、君はコンビニへ向かった。街道に突き当たり車の有無を確め、向こう側に渡り坂を下りた。坂下が昼間のように照らされている。そこを人影が過ぎた。コンビニは坂を下りた角の家を右折した隣りにある。コンビニの明りは白々とあたりを照らし、いつも新聞スタンド脇にしゃがんで唾を吐いたりカップめんを喰い散らかしている中高生たちも今はいない。入口の自動ドアは相変わらずあきれるほどゆっくりと開閉する。いつだったか、レジでアルバイトの女の子に尋ねたことがあった。「ここのドア、なんで開くのがこんなに遅いの?」女の子はぽかんとした顔で僕を見てから困ったような笑顔で小首をかしげた。すると入口の近くをほうきで掃いていた中年の女が、「強盗防止。入る時にためらうかもしれないし、逃げる時に捕まえやすいでしょ。物騒な世の中になっちゃったね」と言った。「それにカラーボール当てやすいし」女はほうきを股に立て掛け、内股でボールを投げるモーションを起こし笑いながら言い足した。君はたばこを買い、ゆっくりと開いたドアを出て来た道を戻った。坂の上がり口の角にある家の前を通りかかった時、ふいにあたりが明るくなった。家の防犯灯が君を感知して点灯したのだ。最近はここらでも空き巣やピッキングの被害が増えていて、センサー付の防犯灯を取り付ける家が増えてきた。深夜、この家の前で煌々と照らされるたびに、君の中で殺意が一瞬膨れ上がる。小さく舌打ちして角を曲がりゆるい坂を上った。坂を上りきって通りに出た。右手に果樹園、左は分譲地。先月までは畑だったのがある日、ユンボが入り瞬く間に整地した。通りを渡ろうとして君は左右を確認した。車は来ない。横断歩道はあるのだが、少し離れたところにあるのだ。その横断歩道を渡ると道は続いているのだが、地主の家と畑の周りをぐるりと一廻りするだけなのだ。市が道を通すため、ここら一帯の土地を買収する際に地主が市に融通させて引かせたのだろう。この横断歩道を渡る者を君は見たことがない。昼間であれば結構交通量が多いのだが、皆左右を確認しながら車の途切れるスキを見て小走りに渡るのだ。上り下りのたびに、ずらされた横断歩道と防犯灯に出迎えられるこの坂を君は、「貧者の坂」とよんでいる。ならばこの坂を使わなければいいのだ。少し回り道をすればいいのだ。わずかな距離と時間を稼ぐのと引き換えに君自身もまた、この坂に掠め取られている。君は、坂の上の地主や坂下の防犯灯の家の家主と変わるところは何一つない。君たちは、自分で足下を照らし、何処かへ辿る道を拓きながらその途中で行き暮れている。君たち市民はもう、ずいぶん前からひん死なのだ。君は、叶うものならもう一度あの発光体を見たいと思って空を見上げた。視界には西の雑木林も映っている。クヌギ林だ。君がまだ小さい頃は鬱蒼とした森だった。月日のうちに立ち枯れたりしてずいぶんすけてきた。しかしこの雑木林の通称は「へきざん森」と言う。北側向かいの小学校の校名からとったのか、いつからかそう呼ぶようになった。数年前から都の保有林の指定を受け市の公園課が定期的に手を入れ保護に努めている。人が近道として通るので南北を結んで踏み固められ道のようなものができている。昼間は犬の散歩をする者や近くの保育園の子どもらが先生に連れられてどんぐり拾いに来たりする。君の家はこの雑木林に面して建っているのでそれらの声や気配が聞こえてくる。痴漢や変質者も出没する。夜間通行注意の立て看があるが、変質者は日中によく出るのだ。下校帰りの小中学生が目当てらしい。首吊りは二回あった。もう二十年くらい前に駅前の靴屋の店主と、おととしは余所から来た男だった。この男は死後三日も経ってから発見された。というのも男の姿は樹木の陰になりながらも数日前から人目にはついていたのだが、ただ立っているように見えたのだそうだ。犬の散歩に来た者が、男が昨日もおとといも同じところに立っているのをおかしいと思い、変質者ではないかと怪しんで警察に通報してわかったのだ。男が立っているように見えたというのは本当で、首を吊った後で男の体重の重さで縄を結わえた枝がしなったためらしい。見つかったときは、男の足は着地していた。どんぐり拾いに来ていた男の子がたまたま男のそばまで近寄ったらしい。「キリンさんみたいに首の長いおじちゃんがいる」と先生に告げたそうだが、まさかそうとは知らずその時は聞き流したそうだ。発見された翌日の新聞のローカル版に男の事が小さく載っていた。男は五十代男性で身元不明。ポケットの中の所持金は57円とあった。
そのときだった。君の頭上前方に発光体が現れた。さっき見たモノと同じに赤と青の光を焔のようにゆらめかせ、その三角の先端をこんどは西に向けて滑空した。さっきより高度を上げているのかひとまわり小さく見えた。君の口から押し殺した声が洩れた。そして泳ぐような格好で街道に飛び出した。発光体は雑木林の真上で消えた。君はそれでも尚しばらく発光体が消えたあたりを食い入るように凝視した。しかし、もうなにも起こらなかった。夜は、林間にさらに濃い闇をためていた。
東 分譲地
東。自宅近くに新しい分譲地があります。以前は畑で南瓜や里いもをよく作っていました。この町の建設会社が買い上げ土地付き建て売り住宅の販売を始めました。各戸の敷地はすでに分割され基礎は打たれています。全部で20戸くらいでしょうか、東奥にモデルハウスが先ず建てられました。毎週末に仮設テントが張られ建設会社の社員が詰め、見学に来た客に案内しています。通りから離れているからでしょうか、奥の方から売れているようです。「◯◯様御契約済」の札が地面に立っています。価格は場所によるものと家の広さにより価格はまちまちですが、間取りは3〜4LDKでだいたい5、000万前後です。市道から垂直に住宅地専用の私道が分譲地を割って通っています。おそらく完成時には新築のきれいな家同士が向き合い、そこの入居者たちも朝夕それぞれのドアから出入りして、お互い顔が会えば会釈のひとつも交わされることでしょう。でも似たような家が建ち並び、住人の誰かご主人が夜更けにしたたか酩酊して帰宅し、思わず自分の家を間違うなんてことはおきないでしょうか。黒沢明の「どですかでん」という映画の中でそんなシーンがありましたが、奥さんまでも取り違うなんてことは映画の中だけでしょうが。(笑) わたしの家の近くにここよりもう少し大きい住宅地があります。三年くらい前にできて、なかなか瀟洒なデザインの家が並んでいます。すでに全戸入居しています。ここはもと、芝生畑と梅林でそこに沿って市道が走り、学校や商店街につながる道なので人の往来はひんぱんです。建設会社はこの両側の土地を地主から買い上げて住宅を建てました。この道と平行して10mほど先にもう一本道があります。この道は分譲住宅専用の私道なので一番奥の家で行き止まりです。2本の道に垂直にT字様に市道が走っていて、南に行けば街道にぶつかり、北は市役所の方に伸びています。街道の方から来ると住宅地を抜けて行く道、学校の方に通じる市道ですが、僕の家の方に通じる道でもあります。僕はこの界隈を自転車でよく走ります。街道から来るとこの住宅地の手前6〜70mくらいから下り坂になっていて途中左右に路地があるので人の飛び出しに注意しながらも一気に走り下り、坂をおりきった勢いのままスピードをつけて最初の住宅を抜ける道をハングオン(笑)で曲がるですがこれがなかなか気分のよいものなのです。ところが時々間違えて、曲がり角を見過ごしてその先の住宅地の専用通路を曲がってしまうのです。この住宅地ができる前はこういうことはありませんでした。梅林と芝生畑の間を気持ちよく曲がっていたものです。似たような造りの家に惑わされてしまうのです。双子の顔を一瞬見紛うようなことに近いのでしょう。そのために最近は坂の上から下りて来る途中で「最初の道だぞ」と自分に言い聞かせるのです。それでも件の曲がり角の手前で一瞬、あれ?と思うことがあります。こんなことは僕だけかと思っていたら、知人が「お前の家に行こうとして、あそこの住宅地で勘違いして一本手前の路地に入ってしまったよ」と笑いながら言うのです。彼は反対側、市役所の方から来てそこで間違えたのです。よくあることでささいなことではありますが、小さな罠にはまるようで愉快ではありません。全体が大きく変化したり様相が変われば、こちらも記憶を修正をすることを心掛け、新しい事として受け入れてゆきますが、ある一角の変貌が、単に眺めるだけの対象ではなく、たとえば道のような、人の生活圏内において日常的習慣的に機能しているところに生じた場合、その部分変貌を遂げた風景の中へ参入するとき、見慣れたものの中で人は自身が横滑りする体験をします。風景が感傷を誘うのはそこがすでに自分が帰還する場所を喪失している場合ですが、この「化かされ横町」のような場合は、住人は自分の中に冥土を見るような思いになります。此ではないどこか別の場所へ帰る道すがら、ふと感情が揺すれさんざめいた、というわけにはいかないのです。自分の縄張りで迷子になったばかばかしさと心細さとでもいうのでしょうか。泣くに、泣けません。なので、地元民は目の前でふいに地滑りを起こす風景に取り残されないように自らも滑落してズレや落下の体感を麻痺させてゆくのです。僕の場合は自転車で坂を下る際にいちいち意識して行う道の確認だったり、わざと間違えて住宅地専用の袋小路に侵入することなのです。これは一種の病いですができることならもっとたくましく生きてゆきたい。それには三つの活路があります。一つは、何度道を間違えても意に介さない。笑って道を引き返してすぐに忘れる。二つ目は、間違えた道の脇に自転車を止めて、建ち並ぶ住宅のどれかに「ただいま」と言って上がり込んでみる。鍵がかかっていたら蹴破って入る。家人に騒がれたら「およびでないノ、こりゃまた失礼!」と退散する。三つ目は、この土地を出てゆく。地元は、人と風景の悲しい親和力に満ち満ちた処です。西 森と髪
西。家の裏はクヌギ林です。落葉の季節は屋根といわず庭いっぱいの落ち葉に悩まされますが、東京に暮らしていて今どき贅沢な悩みかもしれません。また暮れ方、林間を透かして射しこむ西陽に武蔵野の面影が忍ばれ気持ちのよいものですが、そんな光景は実はこの十年くらいに目にするようになったのです。ここへ越してきた当時、今から四十年以上前になりますが、裏はもっと鬱蒼とした深い森で、昼尚暗く陰気な場所でした。更に前はこの雑木林はこの一帯に広がっていてこの家が建つ敷地も森の一部だったようで土地の登記所を見ると「山林」と記されています。東京オリンピックを機に通勤圏は次第に都心からドーナツ状に広がり、この一帯も瞬く間に開発が進みました。この雑木林も元は裏の地主の持物で数年前に大型マンションを建てるという話しがあったそうなのですが、都が緑地保全事業の一環でここらの雑木林を買い上げ保有林とし残したのです。以来定期的に手入れがなされるようになり現在の林の姿になりました。小学生の時分はかっこうの遊び場で秘密基地を作ったり戦争ごっこをしたりしました。あの頃は戦後まだ二十年くらいしか経っていなかったので子どもの遊びもそんなものでした。森とか藪はいろいろなものを隠すのに好都合な場所です。時にはお金や死体を埋めたりしますが、僕たちはこの森にエロ本を隠していました。家から、たぶん父親や兄のものでしょう、持ってきて、枯れ木を組んで作った秘密基地で読みふけりました。エロ本はビニール袋にくるんで段ボール箱に詰め基地の床下に埋めました。子どもたちが秘密基地を作るときは決まって余所の基地があれば壊して戦利品として全てを奪ってゆくのです。僕たちの基地も何度も壊され、また相手の基地も何度も破壊しました。その度にエロ本も行ったり来たりしながら数を増やしてゆきました。また、なぜかエロ本は森によく落ちていました。そのまま読み捨ててあるものより、グラビア写真やイラストのページをはずして散らかしてゆくのが多かった。それを拾って、百舌の速贄ように枝に刺して遊んだりしました。遊びといえば、この森の一角に面して豚小屋がありました。大きな豚が一頭だけ飼われていましたが僕たちが近づくと豚は苛立たしそうに小屋の中を動き回るのです。石をぶつけたり枝でつつくからです。僕たちはそれをトンガリ(豚狩り)と言っていました。豚は怒って僕たち目がけ突進し、その巨体を柵に体当りするのです。柵は衝撃で大きくしなり壊れるのではないかと思いました。そして、豚の鳴き声や僕たちのあげる歓声に気付いた家の人が怒鳴りながら出て来ると一目散に逃げるのです。ある時、仲間の一人が「槍を作った」と言って持ってきました。角材の先端に五寸釘を何本も針金で巻き付けたもので、釘を縛る針金が何重にも巻かれ大人の拳のように膨らんでいました。これでトンガリをしようということになり豚小屋に近づきました。槍を持った子が柵越しから豚の尻に突き立てましたが、皮膚が意外に硬かったらしくはね返されました。それでも豚は驚いて飛び上がって叫びました。柵が邪魔で力が入らないので、三人で騎馬をつくり一人がそこに乗り槍を使おうということになりました。豚も警戒してかしばらく睨み合いが続きました。騎上の子が威嚇すると豚が向かってきました。槍を突き出すのと豚が向かってくるタイミングが合ったのかカウンター気味に五寸釘は豚の眉間に突き刺さりました。その瞬間、角材が折れたのですが、豚は笛のような奇声を発してそのまま激しく柵にぶつかってきました。凄まじい衝撃でした。同時に騎上の子が後方にふっ飛びました。豚は折れた槍を眉間に突き刺したままで首を左右に激しく振りました。後ろに飛ばされた子はぽかんとした顔でクヌギの根元で両足を投げ出していました。一人が、「◯◯、手!手!」と叫ぶので当の子が自分の右腕を見ると、とたんに顔が豆腐のように崩れました。折れた角材の木切れがナイフのようにその子の手のひらから潜り肘から飛び出していたのです。その一件以来、僕たちはトンガリはしなくなりました。豚小屋もしばらくして取り壊されました。豚を飼っていた家に女の子がいて僕と同級生でした。割と早く婿養子をとって結婚したようで子どももすぐに出来ました。お金のある家だったらしく、大きくなった息子が外車を乗り回しているのを見たことがあります。そして数年前に家を建て直しました。立派な城のような家でした。庭に高い防犯灯が立っていて夜になると水銀灯が点滅していました。それからしばらくして、その息子が逮捕されました。仲間数人と女を殺したからです。息子は直接は手を下さず、仲間にやらせたのです。週刊誌やTVのニュースでは、息子は新築した自分の部屋に女を連れ込み暴行したのですが、女から訴えられるのを恐れ、配下の仲間に命じ口封じをさせたと報じていました。女は路上で体を十数か所を刺されたそうです。息子が捕まって家はしばらく空き家になりました。写真週刊誌の人間たちが昼夜家の前に張り付いていたので家人はどこかに身を隠していたようです。まさか裏の森ではないでしょうが。でも二か月ほど経つと戻ってきました。息子はまだ拘置所ですが、母親はよくスーパーマーケットや路上で見掛けます。庭の水銀灯も点滅しています。そういえば、森でこんなこともありました。町内の2コ下の下級生二人が僕に森まで来てくれというので行ってみると、二人は真顔で「目をつむって後ろを向いててくれ」と言うのです。言われたとおりしていると「もういいよ」の声に振り返ると、目の前に二つの生白い尻が並んでいました。ズボンを下ろし尻をこちらに突き出しているのです。「なにしてるんだ?」との問いには答えずに二人はそそくさとズボンを上げ、僕を残して帰ってしまいました。なんの意味があったのか、学校で二人をつかまえて聞いたのですが、ぽかんとした顔で「なんのこと?」と言うのです。芝居をしてるようにも思えずいよいよ腑に落ちません。中学生になっていた僕はたまたま駅前で尻を出した一人に会いました。少し立ち話をしてついでにあの時のことを尋ねてみました。すでに忘れているのか、変なことを聞く、というような顔をされました。あれは単なるイタズラだったのか、それとも何かの合図だったのか、今だにわかりません。わからないといえばこれも中学生の時のことでした。森の中に大量の髪の毛が落ちていたことがありました。長い髪の毛でしたので女性のものかと思いましたがわかりません。一人分くらいの量はゆうにありました。どうして髪の毛が落ちていたのか、誰かが捨てたものなのか今だにわかりません。長い髪の女性を見るとその時のことを思い出します。「森の中に髪の毛を捨てたことがありますか?」と聞いてみたくなります。南 学校
南。家から私道を真っ直ぐ50メートル歩いた突き当たりに小学校があります。僕が卒業した学校です。碧山小学校といいます。初代校長が、杜甫の詩の中の言葉からいただいたそうです。電話で道を伝えるときに言いにくい校名です。必ず「え、エキザンですか?」と聞き返されそのたびに「エではなくて、へ、です、へ」と繰り返すのがどこか気恥ずかしい。僕は二年生の二学期に転校してきました。学校指定のライトブルーの校帽と学年ごとに色ちがいのフェルトに校章をピン止めしたのを胸につけなければならないのがいやでした。ばかばかしい校則もありました。チャイムが鳴ったらその場で止まれというもので、時限のたびに全校生徒は屋内だろうが屋外にいようが歩いていようが走っていようが皆その場そのままの格好で止まるのです。週番と呼ばれる腕に腕章を付けた生徒が「止まって、止まって!」と叫びまわるのです。子どもごころにも愚かなことだと思いました。5年生のときのクラスにコンニャクというあだ名の生徒がいました。いつも、しなをつくるようにくねくねしていて貧弱な体つきの子でした。おとこおんなとかクラゲと呼ばれていたときもありました。授業中に先生から指されると席を立ちはするものの、答えることはおろか返事も満足にできず顔を火照らせ照れ笑いしながらくねくねするだけでした。「シャンとしろ!」先生に一喝されるとその時だけ背筋を伸ばすのですがすぐにまたくにゃくにゃに戻ってしまうのです。そんな子がある朝教室の中で皆の目を疑うようなことを起こしたのです。同じクラスの女の子と手をつないでたのしそうに遊んでいたのです。女の子はかおると言い年の割りには大人びた子で他の女子とはすでに違った雰囲気をもっていました。僕も密かに気にしてはいたのですが、位負けというのでしょうか、その子の前に出るとつい気持ちと裏腹なことを言ったりしたりしてしまうのです。そんな男子は僕だけでなかったと思います。だから皆驚いたのです。でも、うらやましいという気持ちはおきませんでした。彼女をめぐりいずれも実力伯仲の鍔競り合いというのなら悔しいし、羨ましくもなるでしょうが、まさかコンニャクにと誰が思ったでしょう。一体何がおこったのか?!まさに青天の霹靂、皆はただ呆気にとられるばかりでした。僕は彼に聞きました。「何があったのか?!何をしてるのか?!これからどうするつもりなのか?!」彼は真っ直ぐに僕の目を見てきっぱりと「ぼくはかおるが好きでかおるもぼくを好きでぼくたちは愛しあっていてこれからもうんと仲良くなってもしかしたら結婚するかもしれない」僕は目眩がしました。たった一日のうちに何かが起こったのはたしかです。でも何が彼らの身に起きたのでしょう。それから彼らはますます仲良くなってゆきました。登下校も一緒、休み時間も給食の時も二人だけ。しかし突然の変化に慣れるには時間がかかります。毎日見慣れた光景ながらやはりどこか違和を覚えながら二人のカタチに目だけが麻痺するように慣らされてゆきました。10日くらい経った朝でした。教室で彼は真っ赤な顔をしてかおるを怒鳴っていました。とても興奮していて口の方が追いつかず手を振り回し地団太を踏んですごい剣幕なのです。「○●*★じゃないか!、■△●じゃないか!」彼のメじゃないかモばかりがやけによく聞こえます。こんな彼を見るのも初めてでした。彼女は声を殺して泣くばかり、さっぱり要領を得ません。かおるは彼に何をしたのか。彼はかおるの何を怒っているのか。それでも一時限目のチャイムが鳴ると彼は憤怒の形相で振り上げた拳を止め、彼女はさっきから身じろぎもせず泣き続けていて肩を小刻みに震わせるのは止みませんでしたが、週番もそれは許しました。二人はチャイム終了と同時にそれぞれの席につきました。短い蜜月は終わり、翌日には彼はまたコンニャクに戻りました。何があったのかと彼に聞いても答えず、顔を赤らめ体をくねらせるだけです。彼を愛憎の激情に駆り立てたものが一体何であったのか、それは今となっては知る由もありませんが、その一件が終わった後に僕の隣りの席の女の子が「5年1組みんなで同じ夢を見てたみたい」と言ったのを憶ています。夢といえば、繰り返しよく見る夢があります。夜、人気もない暗いさびしい道を歩いていて、突然傍らの茂みの中から女の悲鳴が聞こえてくる。女の姿が見えないのですが、ただならぬ気配を感じ茂みに向かってメどうしました?!モと呼び掛けようとするがかすれて言葉にならない。喉の奥から絞りだすようにやっと出した声が裏声で、自分の声にさらに恐怖が増して腰が抜けてしまいその場にへたりこんでしまうのです。その夢を何度みたことか。若い頃は少しはやんちゃもしてきたけれど、自分は本当はとても臆病者なのだとそのたびに思い知らされるのです。去年のことでした。深夜、小学校の前の道を歩いていたら僕の横を自転車に乗った若い女性が追い越して行きました。女性はその先の路地を曲がり住宅街に入って行きました。僕は路地を過ぎて少し経った時に声がしたように思いました。風が出ていたので電線が鳴ったのかと思いましたが足を止めて耳を澄ますとまた聞こえました。今度ははっきりと女の悲鳴でした。咄嗟にメさっきの女性だモと思い、「どうしました!」と大声を出して声のする方に走りました。駆けつけると暗がりの中でブロック塀のところに人影がうずくまっていたのでメそこで何をしてる!モと一喝して近寄るとさっきの女性がへたりこんでいました。震える声で彼女が言うには、突然塀の陰から男が飛び出してきて口を布でふさがれ首を締められたと言います。辺りを探しましたが男の姿はすでになく、幸い女性には怪我もなかったので家まで送りとどけました。家に帰って部屋で、いざとなると夢の中で女の悲鳴に腰を抜かしている自分とは違うものだなと思いながらも、依然として夢の恐怖はそのまま際どく怖くあり、やはり夢の中の自分が本当の自分なのだと思えるのです。かつてコンニャクと呼ばれた少年は、あの時の自分を憶えているでしょうか。隣りの席の女の子が言ったように僕たちはほんの一時彼の夢を見ていたのかもしれません。彼とは中学が違ったので以来会うこともなく、もうこの街にはいないかもしれません、道で見掛けることもありません。一方、彼に激しく愛されたかおるは今もこの街に住んでいます。自宅は学校のすぐ近くで表札もそのままです。クラス会には一度も出てきませんがまだ独身と聞いてます。時々見かけることがあります。もちろんあの頃のままではありませんが、当時から大人びていたのがそのまま年を取ったふうで、百年前も百年後も同じ人のような不思議な印象です。でも彼女の姿を見かけるということは夢ではないのですね。それとも僕のまわりにだけ今も尚、胡蝶は飛び続けているのでしょうか。北 果樹園
北。果樹園があります。梨、葡萄、キウイを作っています。特に梨はこの憚街の名前が付けられていて品種は豊水。実は大きくみずみずしくてなかなかのものです。地元の農家が二十年くらい前から作り始め、次第に広がってきました。ウチのまわりにもいくつか果樹園はありますが一番近い相田果樹園をよく使います。ただ自分たちで食べるにはいささか値が張るのでもっぱら遠方から来られたお客さんにお出しするか、地方に住む親戚に送るのに使います。毎年八月の末から収穫が始まります。一昨年の夏もそろそろ終わろうかという頃でした。用があって自転車で駅に向かっていた時でした。ケータイがかかってきました。大学時代からの友人でした。彼はたまたま近所に住んでいましたが、最近は仕事が忙しいらしく前ほどは会うこともなくなっていました。電話の声がいつものようではなかったのでどうしたのかと聞くと、小さな声で、自分はガンになったと言うのです。半年くらい下痢が続いていたので病院で診てもらったら大腸ガンと診断されたと言いました。「明日入院して即手術だよ」もっとくわしく知りたかったのですが、本人の声の調子からこれ以上話させるのが憚られ、後で用を片付けてからそちらへ行くと言って電話を切りました。その場で今度は知り合いの女医に電話をかけてどうしたものか相談しました。彼女は、どの程度の進行かくわしくはわからないが大腸なら手術をすすめる。専門のいい病院を紹介する、と言いました。用を済ませその足で彼の家へ向かいました。途中、相田果樹園の前を通ったので手土産に果物でも買ってゆこうと思い販売所のある中庭に入って行きました。梨はまだ出始めでさほど大きなものはありませんでした。それでも手頃なものを3個とデラウエアを一房を買いました。彼の家に着くと奥さんが向かえに出て来たので梨と葡萄を渡しました。彼女はそれをキッチンのテーブルの上に置こうとしたのですが、いろいろものが乗っていて場所がなくひとまず階段の上に置きました。彼は次の間に座っていました。「参ったよ、やられた」彼はそう言ってごろんと寝転びました。「医者はすぐ切ると言うけど家に帰って家内と話し合った結果、切らずに治そうと決めたよ」彼がそう言うと奥さんが続けて「切ると人口肛門になるし、彼仕事を止めてまた絵を描く気持ちになっていたから制作に支障が出るんじゃないかと思うの。それに対処療法中心の西洋医学には疑問を感じているし」彼女は膝の上に何冊も本を積み上げて言いました。「ガンは治る」「断食療法」「免疫力を高める食生活」とかの本でした。「じゅんさん、どう思う?」と言われましたが彼女の顔はもう決めたという表情でした。「知り合いの医者に話したよ。病院を紹介してくれると言ってる」「それは手術するということでしょ」「僕は医者じゃないからなんとも言えない。でも君らが決めたことなら僕はこれ以上言わない。がんばって治してくれ。でも無理はするな。在宅治療は大変だからな」「北海道のわたしたちの家で暮らすことにしたの。空気もいいし、東京にいるといろいろ煩わしいこともたくさんあって治療にも集中できないし。三年ぶりよ。家族が揃うのは」彼女は三年前から一人息子と紋別の近くの村に移り住んでいました。子どもをのびのび育てたいというのが理由でした。彼女の実家は札幌近郊の町ですが何かの折りにその村を訪れて気にいったそうです。廃屋同然の家を格安で買い手を入れて住んでいました。彼は職場が東京なので残り、子どもの春休みや夏休みを利用して行ったり来たりしていました。僕は、彼がわずか半日も経たないうちの心変わりがわかるような気がしました。彼女の性格と膝の上に積まれた本の束を見て。帰りしな玄関口で「梨はまだ実が小さいけど、葡萄はおいしいと思うよ」と言いおいて家を後にしました。 その頃、翌年に個展をひかえていて制作中だった僕は、最後の一枚を梨と葡萄の絵にしようと思いました。作品は7割くらいまで進んでいました。8点組の大きな作品になる予定でした。内容は絵日記のような組み立てでこの夏休みのことを絵に描こうと思い制作を始めました。夏の始まりに立て続けに知人が二人亡くなりました。二人とも自殺でした。一人は女性で京都の自宅前を走る電車に飛び込みました。もう一人は地元の知り合いの男性で自宅で登山ナイフを使って腹と喉を切って果てました。僕たち家族は八丈島に旅行する予定があって丁度島行きのフェリーが竹芝を出向する時でした。猛烈な豪雨と雷が轟くなか、地元の友人から僕のケータイにその報せがありました。絵は二人の事と旅先の事をすでに描いていました。梨と葡萄の絵はクレヨンで描きました。ちょっと見るとそれとは見えません。梨は真っ黒く塗ったせいか、見た人はメほら穴か?モと言いました。葡萄の方はメ真珠の首飾りか?モと。サーモンピンクで塗られていたからかもしれません。電車に飛び込んだ女性の絵はメ団子かい?モと聞きました。いつか、梨は梨、葡萄は葡萄とわかるように描こうと思いました。>
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