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「分業が広げる版画の可能性」
国立国際美術館学芸員
島 敦彦 記
日本で「版画家」というと、誰を思い浮かべるだろうか。木版の棟方志功や銅版の浜口陽三はもとより、関西では石版の吉原英雄や木版の黒崎彰、あるいは池田満寿夫や山本容子ら、何人もの名前をたちどころに列挙できよう。 しかし海外では、いわゆる「版画家」と呼ばれる作り手はほとんどいない。ピカソ、マティス、ルオーをはじめ、ジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォーホールら、版画の作り手はあくまで「画家」であり、時にリチャード・セラのような「彫刻家」なのだ。 そこには、日本と欧米との版画環境の違いがある。ヨーロッパでは、版画の図柄を描く「画家」とそれ以降の過程を受け持つ刷り師との協力関係が、伝統的に概ね保たれてきた。一方、アメリカでは、1950年代末期から70年代にかけて各地に設立された版画工房が、積極的に「画家」や「彫刻家」に働きかけ、技術的な支援やエディションの管理も厳密に行って、それまで軽視されてきた版画の復興と普及、ひいては版画市場の育成に貢献してきた。 それに対し、日本では浮世絵版画の時代こそ、「絵師、掘り師、摺り師」の三工程の分業体制があったものの、明治末以降「自画、自刻、自摺り」を旨とする創作版画運動が勃興してからは、最初から最後まで自ら行って初めて独創性のある仕事ができるという考え方が支配的となった。それは、今なお多くの人が抱いている版画観ではなかろうか。 実際、版の制作に必要な機材や道具を備え、すべての工程を熟知した「版画家」でなければ、版画の制作に手を出すことはなかなか容易ではない。「画家」や「彫刻家」が、版画を手がけたいと思っても、いくつものハードルを越えねばならないのだ。 帰国後、1987年に東京・調布市に自分の版画工房を開いた。ただ工房とはいっても、自宅の一部屋を改装した実にコンパクトな作業場だ。スタッフを抱えず、すべてを一人でこなす。日ごろからせっせと画廊巡りをしては、無名でも興味を引いた作家に「版画(リトグラフ)を作ってみませんか」と声をかける。それに応じてくれた作家が別の作家を紹介してくれることもある。これまで数十人の作家のリトグラフが、板津の小さな工房から生まれた。昨年本欄で紹介したバンコク在住の画家小林孝亘も、その一人だ。 大阪・京橋にあるガレリア・アルテリブレで、現在個展を開催中(4月15日まで)のO JUN(どこか中国風の名前だが、生粋の日本人)も板津に誘われて、版画に手を染めた画家だ。 リトグラフは木版や銅版よりも工程が複雑だ。そのため、学生時代に試した経験はあったものの、O JUNはリトグラフに苦手意識があった。しかし、作家の遊ばせ方というか、乗せ方がうまい板津の励ましで、この十年の間にO JUNは大小十数枚のリトグラフを完成させた。 今回はその集大成だ。最初に手がけた《撃墜王》(1996)から、最新作《東西南北の此》(2005)まで代表作が並ぶ。たて約2.3メートル、よこ約5メートルという十二点組の巨大な作品《瞬き三回、太陽いっぱい》(2004)も出品されている。旭日旗を思わせる赤の帯が、人の横顔とも太陽とも見える玉の集合体から四方に炸裂するように伸びる、鋭いタッチの大作だ。 O JUNの「校章」シリーズの延長上にある《東西南北の此》も注目される。六点組だが、ナシとブドウがさらりと描かれた図と髪の毛が異様な妖気を発散する図は、O JUNの新境地を示す作品と見た。とりたてて何かが新しいという訳ではない。板津との「阿吽のかけあい」の中で、O JUNの肩の力が少し抜けたときにふいに立ち現れたイメージではないのか。板津はただの刷り師ではないのだ。 |
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